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格闘技で疲れても…スポーツジムは別腹☆


by omote3k
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届いてしまった声

以前職場にいた方の通夜・告別式が無事終了
ものすごい人が参列して用意していたお返しの品が足らなかったと聞いている。
会社を退職して5年、意識不明になって3年
それでも取引先をはじめとした沢山の方が最期のお別れに訪れたという。

意識不明でも、かつての同僚がお見舞に行って声をかけると最近は反応していたそうだ。
声はちゃんと届いていたのだと思う。


今でも悔やんでいることがある。
父が脳梗塞で意識不明になったのは9月
病院では3ヶ月たつと転院を勧められる。
しかし当時の実家のあった地域にはあまり病院はなかった。
隣の区に公立病院はあったが意識不明で助かる見込みもない患者は受け入れないだろう。
同じ区内に某大学の系列病院があったがここも混み混み
そして季節は12月
父は友人にお寺の住職や葬儀会社の社長という方がいて葬儀とか通夜にやたら詳しかった。
その父が一番恐れていたこと
それは「年末年始に死ぬこと」だった。
周囲に迷惑をかける、斎場も休みになるので保管費用がバカにならない。
父の母は元旦が命日
身を持って年末年始に人が死ぬことがどれだけ大変かを体験していたのだ。

父は3ヶ月意識不明だった。
とはいえたまにうなっていたし、ヒゲをそって顔を綺麗に拭くと嬉しそうな表情を浮かべることがあった。
多分どこかで多少は理解していたのだと思う。
そんな父の枕元で母と自分はこんな会話をしたことがある。

「どうしよう。転院といっても受け入れ先があるんだろうか」
「年末年始に万が一のことがあったら大変だし」
「もう助からないならば…これで終わりでもいいよね」
「頑張って欲しいような、でももう十分なような」

冷たい母と娘だ。
しかし母も自分も疲れていた。
助かる見込みがあるならばどんなこともする。
しかしもう父が助かるという奇跡はどう逆立ちしても望めない。。
その会話から数日後 父は息を引きとった。
母と自分の冷たい会話を父は聞いていたのかもしれない。
「ああ そうか。じゃあもういいか」とあきらめたのだろうか…

あのとき あんな会話をしなければ
どこかに転院し奇跡的に回復していたとしたら
生きていればもうじき80歳になる父
今更後悔してもどうにもならないことだけど…
by omote3k | 2008-05-28 23:31 | Kako